道徳と損得
あるアメリカの行動学の学者の記事に目がいきました。
テーマは「社会規範のコスト」
託児所で子供の迎えに遅れる親がいる為、
罰金を課したらどうかとなり、実行したところ予期せぬ結果を招いたのだという。
金銭(罰金)を払うのだから、遅刻してもいい、そんな親が増えたのだそう。
社会規範の問題が、損得勘定に変わってしまった典型的な例。
何ヶ月か前のコロナが落ち着く谷間に、高校の大先輩がしている小料理屋での出来事。
隣の席には、高校の後輩が連れてきた弁護士。
なんでも、2019年に高額事案があった為、2020年のコロナの補助金で100万円が下りたと。
隣でいた私と女将さんは絶句。「えっ、弁護士の立場で道徳的にどうなの?」と。
売り上げが下がっているわけでもなく、たまたま前年にあった高額事案。
それでもルール上ではもらう権利もあるのが事実。
社員皆んなに還元したと胸を張る弁護士。
「井戸の茶碗」という古典落語の名作中の名作。
綺麗な娘と貧乏長屋に暮らす、昔武士だった浪人。
生活の為、従来家から引き継いだ仏像を、屑屋(今で言うリサイクル業)に依頼。
売れたら折半でと言う約束で、見事若い武士に高値で売れる。
その仏像には、買った額の何倍とする小判が隠されており、
買った若い武士は「仏像を買ったのだから小判は持ち主に返す」
売った浪人は「気づかなかったこちらが悪い、小判は買った人のもの」
間に入る屑屋も根っからの正直者。超がつくほど正直者たちの意地のぶつかり合い。
誰もが納得する幸福な結末と、オチには流石の一言。
人々の道徳と損得の物語には、現代にもぴったり当てはまるのではとさえ感じます。
まだまだ続くコロナ禍、私たちに道徳心が問われているような気がしてなりません。
(了)